自室

小学生まで、21時になったら寝ろと怒鳴られながら育ち、中学ではスマホが22時から使えないように制限されていたためか、日付を超える夜更かしは私にとって特別背徳感が大きい行為だった。

真っ暗な寝室の布団の上で、隠れながらスマホの設定をくぐり抜けて友達とLINEをした夜は、間違いなく私の青春である。

親が手を洗いに起きてくると寝たふりをした。時々バレてその時も怒鳴られた。そんな大きい声出さなくても聞こえるのに。

 

大学生になると、親は私の生活サイクルにとやかく言わないようになった。どうやら19歳以上は躾をする年齢ではないとしているらしい。シンプルに叱りつける体力がなくなってきているのも理由の一つだろう。

0時を超えて大学の試験勉強をしていると、やっていることは勉学だけれどもなんだか不良になった気分になる。

早く寝なきゃ。

翌朝のどうしようもない眠気とけだるさへの憂慮もさることながら、夜遅くまで起きていることに対する罪悪感がもっぱら強い。

だからこそ、この試験前夜はたまらなく興奮するのだ。

試験自体をパスできるか瀬戸際にいるという緊張感ももちろん興奮材料にはなっているが、禁忌を犯しているという意識が胸を高鳴らせる。



こんなこと言ってる場合じゃない、勉強しなきゃ。

21歳、下着屋に入れない

まず、女性用の下着を売っている店のことをなんと呼べばいいのかわからない。

普通に「下着屋」だろうか。「ランジェリー屋」とは言わないだろう。「ランジェリーショップ」か。まさかそんな。

とりあえず、一番短いという理由で「下着屋」ということにする。

 

そもそも誰かとどこで下着を買うかなんて話はしないものなのだろうか。少なくとも私にその経験はない。それはそこまで話せる相手がいないだけという可能性も考えられる。

 

同性の親とは、たしか小学4年生のころにスポブラを勧められたきり、下着の話はしなくなった。

学校の性教育らしき授業でもスポブラについては触れられていた気がする。

それまで私は、肌着を着ないで直接Tシャツやワンピースを着ていた。

肌着を着る必要があると知らなかった。

しかし、ずっとそうしているわけにもいかないとなんとなく察し、最初は勧められたものを探しに行って買ってもらったが、胸に布をあてているということがなんだかマヌケに思われて、ブラトップの方を好むようになった。

 

この選択に、確かな満足感があった。

体操着に透けたとしても、あまり恥ずかしくない。

ブラだと上からキャミソールを重ね着しなければならないが、これなら一着で二役を担ってくれる。間違いない。これが最適だ。

 

そう信じて疑わなかったのに、いつの間にか同級生のほとんどが「ランジェリー」を身につけるようになっていて、自分が少数派になっていることに気づいた。

高校生にもなると「肌着」や「インナー」ではダメなのか。「ランジェリー」に切り替えるタイミングなんて、一体いつどんな理由で迎えるというのか。一人で買いに行くのか。洗った後、家のどこに干せばいいんだ。

最適を見失ったまま、私は高校を卒業した。

 

それからいまだに、下着を買うのはユニクロで他の服を買うときのついでだ。その際は専業主夫をしている父を思い浮かべながら、家で目に入っても何も言われなさそうなデザインの下着を選ぶ。ユニクロではシンプルなものばかりが売られているから非常に助かっているが、そのなかでも特に地味なものを探す。目立つデザインのものを干していたからといって、きっと「少し派手なのではないか」くらいしか突っ込んでこないだろうが、それでも下着について言及される可能性を極力下げたい。

 

21にもなって中学生のような下着をつけているのはどうかと思うが、タイミングとやらを逃してしまった以上、致し方ないとも思っている。